インドでは牛は神聖(笑)なのだ〜

今日はインドの聖なる牛についてです。わざわざ牛についてページを使ってお伝えする意味あるのか?

そんなツッコミも聞こえてきそうですが、インドに行きますと、そこら中に動物が行きかっています。カフェにも鶏が入ってきたり普通にします。猿や犬猫もたくさんいます。

その中でも牛は聖なる生き物です。それは、シヴァ神の乗り物が牛だったことに関わるかもしれません。

そして、インド仏教が中国に渡ると、『十牛図』となって発展していきました。

中国宋の禅僧・郭庵によるものが有名な『十牛図』ですが、ここでもやっぱり牛がフューチャーされていますね。

この十牛図は、悟りに至るまでの人の心の揺れを描いた10枚の絵からなる物語です。人が悟りに向かうとは、一体どのような機微があるのかをよく表しています。それは、聖なる牛と一体となることで、自分のエゴが終わりを告げ、それはまるで全てのものとの一体感を得ることができるその様子が表されています。それは、『空』であり、α波シータ波の状態であるとも言えます。そしてまた人は変容していく有様を描きます。それを牛と一体となることで得るとは、やはり牛は聖なる生き物に違いありませんね!

そんな聖なる動物をこの次元では食べているわけです。

神聖な存在であると、全ての命ある存在をとらえることが大切になります。

集合意識として、このまま動物たちをいじめ続けると、牛の集合意識が、もう人間とは一緒にやれないと、この星を後にしてしまうかもしれないのです。絶滅の危機にある動物たちは、集合意識で、この惑星を離れることに決めています。

今一度、聖なる牛に想いをはせてみますと、牛たちは私たち人間を昔から支え続けてくれています。ミルクや肉体を提供してくれています。

そんな牛になって、今、私自身を見た時に、牛たちは何を思うんでしょうか?せっかく提供してやってるのに、全く施しがいのないやつだ〜と呆れられるかも知れません。

日頃私もカフェラテをよく飲みますので、牛たちに呆れられないように、せめて感謝していただこうと思います笑。

これからは、自然と共存しているもの食品で、誰も悲しむことのないものを使いたいものです。

一つのものが出来上がる過程で、一体誰が何をしているのかが分かるもので、誰も傷つくことのない、できれば全てがハッピーな行程を経のものを。

牛に想いを馳せ、生きとし生けるものの視点で暮らしたいですね。

今日もありがとうございました。

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