アトランティスの光と影

こんにちは、ヒーラーのHidekoです。

 

日々波動が高まるこの世界において、みなさん、なんとも言われぬ苦痛、心と身体の不調や痛みを感じている人が、最近多いように感じます。

 

私もその一人ですが、最近少しわかったことがあり、何かのヒントになればと思い書いていおります。

 

 

アトランティスの時、私たちは、縦横無尽に分析を尽くしました。

すべての事象、対象物を、徹底的に細分化した、と言えると思います。

 

人も、動植物もそれに含まれていました。

(そして、アトランティスの実験の中にはここでは書けないような内容もたくさんありました。)

 

 

自分とは何か?

 

その答えがそれによって見つかると思ったのです。

 

 

 

人の心とはもちろん、そんなことでは推し量れません。

 

 

 

しかし、アトランティスの人々は、いえ、私たちがアトランティスで行ったのは、そうしたことでした。

 

それによってわかったことがありました。

 

それは、人には魂が必ず存在していること、魂と心があること

 

 

魂と心は一緒にあるもので、感情と思考がそれを教えてくれること・・・・

 

そして私たちは、肉体というこの世界を生きるための乗り物に乗っていること、

 

心と魂のことは、身体がいちばんわかっているのかもしれません。

 

 

 

さて、アトランティスで私達が学んだ素晴らしい成果の一方で、負の遺産とでも言うべき分析的思考を私たちは身につけてしまったようです。

 

いつまでたっても自分の価値観が上がらない

 

自己価値が感じられない

 

何度ヒーリングしても、結局価値のない自分が現れる

 

 

こんな人は、私の周りにも少なからずいますし、私自身もそうです。

 

 

それは、育った環境に寄るところが大きいのはそうなのですが、ここでは、アトランティスの分析的思考の影響であるという一面を紹介したいと思います。

 

 

私たちは、アトランティスで、被験者も試験管もどちらも経験したことがあるかもしれません。

 

 

そのことがDNAレベルで自分たちを変えてしまったことは気が付かれてはいないのかもしれませんが、全体性を失わせて、二元性を強めたことは確かだと思います。

 

ワンネスから遠ざかってしまったんです。目的とはうらはらに。

 

 

魂レベルでもDNAレベルにおいても、分析的傾向、つまりは、全体性への批判的論考は、そのまま私達の自己批判となって今に受け継がれている、そう言えるのだと思います。

 

 

それが、私達がエネルギー的に、そして肉体的に、辛さやときに体調不良や辛さになって今現れている、そう思うのです。

 

 

少し前にこんなことがありました。

 

 

日常であまりに多くのことが一度に起こってしまい、しかも、その一つひとつのことが、いいこともあれば良くないこともある。

起こった一つの出来事が、良かった、悪かった、の一言では表すことができない。

 

いいことも良くないことも含まれていて、以前のように、辛いことが起こったから泣いて解消する・・ことができずに、一方では泣きたい、しかし他方ではいくつかの違う感情が生まれて、どうしたいいかわからずに、結局私は、そのときの自分がただ辛くて仕方なかった。

 

そんな体験をしたんです。

 

 

 

その数日後、アトランティスのことを思い出して、

 

 

アトランティスの目的が愛だったとして、しかし、目的のために傷ついてしまった、とても大きな傷を抱えることになった。今現在に至るまでの。

 

結局分析的な態度では愛を得ることはなかったのだろうと思います。

 

いくら細部に分けてみても、論証はできるが、全体もわからず、愛もそこにはない。

 

 

私の中に、アトランティスの末裔の血がはっきり流れるのが分かるんです。なぜなら、私自身が細部に拘りすぎるから笑。

 

 

そして、そこで起こったことがどうだったにせよ、アトランティスは私自身であり、私の一部なんです。

 

 

 

さて、アトランティスに愛がなかったのか?

 

いいえ、そうではないんです。

 

 

分析的なことが痛みを産んだと言いましたが、

 

 

ただ細分化するだけならそこに痛みはないはずですよね。

 

 

 

 

もし、アトランティスの叡智の視点で話すことを許されるならこう言います。

 

 

 

 

私たちは、事象を感情的に思考的に捉えがちですよね。特に大変なときは。

 

 

 

しかし、アトランティスの視点をもって、起こったことをありのままに眺めるようにしてみる。

 

 

感情と思考を少し脇において、なるべく客観的に眺めてみる。

 

 

そこから見つめる世界は、私たちを混沌の中から解き放ってくれるように思います。

 

 

 

 

アトランティスの負の遺産はアトランティスが産んだ愛を理解して変容させる!

 

 

 

そう言えるのだと思います。

 

 

 

 

 

投稿者:Hideko Quan Yin 投稿日時:

光の道を歩くと決めるのは自分自身

自分にあったことを捉えることができるようになるまで

 

自分が何を計画したのかの全容がわかるまでには、かなりの時間を要すると思う

 

自分で計画したということを受け入れるまでが一番長い

 

なぜならそう思いたくはないから

 

 

 

 

しかし、いつかあきらめる時が来る

 

かっこいいもんじゃない

 

仕方なくあきらめる ほんと仕方ないから、がいちばんの理由だったりする

 

 

 

 

終わりなく続くように思えた苦しみはいつか終わる

 

私において終わったのだから、みんなの上においても必ず終わる

 

 

 

その後に課題がなくなるわけではないが、もっと大きな課題がやってくるかもしれないが、これまでのような暗闇でなないはずだ

 

課題の質も変わってくるだろう

 

 

 

 

私の言葉で言うなら光を受け入れた時、

光が真実だと認めた時、

 

 

言い換えると、手放した時

 

 

 

 

何度も言うが、それはかっこいい感じでは訪れない

 

私の場合には、かっこ悪く、明日のプレゼンに間に合わせたいから、ホント仕方なく、

手放し、あきらめ、光だということを受け入れた

 

そんな感じだった

 

 

 

 

 

それは、51%が光で49%が闇になった時と言えるのかもしれないし、

 

光それは愛であるが、愛に目を向けると決めたと言えるのかもしれないし、

 

 

もう人のせいにしない、

自分の人生の責任を自分が持つと、

自分の中の最も傷ついた自分、ただ誰かから傷つけられた体験をした自分自身が、そう受け入れたとも言えるのかもしれない

 

 

苦しみは、終わり光へ向かう

 

時間がかかることにまずはOKを出そう

 

困難が大きければ時間がかかるもの

 

大きな課題の後ろ側にあるもの

 

それがあなたが見たかったものにほかならない

 

それを見つけるためにあなたはこの星に生まれたのだから

 

 

 

 

 

いつも言う言葉は、今日の自分にYES!

 

当時はそんなこと思いもしなかったが、今3年前の暗闇真っ只中で苦しんでいた自分が何よりも愛おしいと思える

 

そんな日が来るから

投稿者:Hideko Quan Yin 投稿日時:

傷つきやすさは克服できる

こんにちは、Hideko Quan Yinです。

今日はこのテーマです。『傷つきやすさは克服できる』

少し前から、ガイドのキリストからもたらされていた言葉が、この「傷つきやすさは克服できる。」でした。

いつものことながら、文章の意味はわかるけれど、全く実感がともなわないなあと思い、放ったらかしにしていました。

今日の午後、自宅で一人ゆっくりする時間がありました。

最近では、私はインターネットを使わない生活をするようになりました。

ガイドたちからそれを促されていましたが、本当に実践できるようになるには一年はかかりました。

それだけ、知らないうちに依存していたことになります。

今日は昨日から丸一日スマホも使わずに過ごしました。

それは、私の罪悪感と、魂の傷についてのレッスンの時間となりました。

本当に信頼してた人から、傷つけられ続けてきたことを思い出すレッスンでした。

私の罪悪感とは底なし沼のようなもので、どこからわかないけれどわき上がってくる。そんな類のものでした。

しかし、それを利用してくる人がいて、私はそのことに気が付かず、おそらく相手も気が付かずにそうしていたでしょう。私の魂はズタズタになっていました。

今日の午後に一人でゆっくりと過ごしたところ、これまでの痛みが噴出し、私はいやおうなくその課題に取り組んだというのが正直なところです。

それは、罪悪感でした。つまり、どんなことが起こっても自分が悪いと思ってしまうんです。

そして、私に罪悪感を植え付けて、何が起こっても私が悪いと思わせることに長けた人が、私に近づいてきていたことがようやくわかったのでした。

そして、その大元と言えば、母親になるわけですが、四六時中、24時間にわたって絶え間なく、

お前が悪い、

お前を産まなければならなかったのは苦痛だった、

お前のせいで私はずっと死ぬほど苦しんだんだ

お前は苦しみの元凶だ

と思われ続けていたのでした。母親の胎内では、何を思っているのかを自分のことにように体験しています。

しかも、それが今なお続いていて、まるで耳元でお前が悪いと言われ続けているような感じでした。

それが、私が何が起こっても私が悪いと思い込んでしまい、また、私の罪悪感につけこんで、利用する人を引き寄せてしまっていたのでした。

私は、今、母親への愛情の欲求を手放すようにガイドから言われています。

なぜなら、母親への欲求を持ち続けるなら、また同じことを繰り返してしうからです。

私もそれが必要だと思います。

もう、自分の魂をズタズタにするようなことはしたくありません。

もし、「傷つきやすさは克服できる。」が当てはまるとすれば、自分を大切にして、傷つくような状況には近寄らないと決めることなのかもしれません。

これまでのように、傷ついてしまう状況をなんとかしようとするのではなく。

投稿者:Hideko Quan Yin 投稿日時:

感謝万能説・感謝は神との直通LINE?

 こんにちは、
Hideko Quan Yinです。
先日の神聖幾何学講座より、がぜん感謝モードになっています。
参加された皆様においては、それぞれに最善の事が起こっていましたが、全体を通してのテーマの一つが感謝でした。
これまでにも、感謝できないでいる自分は分かっていましたので、私においても感謝とは何かを体得するタイミングだったようです。
講座の翌日、とあるイベントで、みんなが私に優しくなっていることに気がついたり(優しくされることに慣れていない自分がいたのですが)、何かが行われる際に、私が縁の下で辛い思いをしなくてもいいことが分かったりと、気づきが起こっていて、早速の感謝効果が。
それにつづいて起こったことは、恥ずかしいと思っていた自分の過去と向きあったことでした。
起きた出来事そのものよりも、恥ずかしいと言われたことが本当に辛かったんですが、それは、言った人がそうだったというだけのこと。
私が恥ずかしいのではなかった。
そして、恥という概念は、感謝や愛の波動には存在できないこと。
どちらを選ぶかを決めるのは私だということ。
そんな変容を体験しました。
元来私って不平不満の人なんじゃないかと思っていたこともありましたが(今でもありますが)、講座からは、何と!不平不満を思った自分にも感謝してしまっています。
一つ行動、一つ感謝。
ふざけんなよ!と言った、思った自分には、そう思ってくれてありがとう!とつぶやいてみてる。
そうすると身体がびっくりするのが面白い発見。
神聖幾何学講座では、神の創造を体験していきます。
神の創造とは、ディバインであり、聖なる流れ、グレース。
それを、この次元の言葉であらわすと、感謝になるかな。
感謝ですべてがまかなえるわけではないと思うけれど、
感謝はすべての潤滑油であり、もしかしたら、神と一番近いのかも。
そんな風に思えています。
みなさんも、感謝の波動で、まさに創世記のごとく神とともにあってくださいね。
投稿者:Hideko Quan Yin 投稿日時: