
こんにちは♬
今日は、スピリチュアルなことを学んでいくうちに、理想的な人物になろうと思ってしまい、理想的ではない自分自身をジャッジしている、それも知らず知らずのうちに・・・
という話しです。
スピリチュアルなことを学べば学ぶほど、素晴らしい人間になる必要があるように思いますよね。
目の前の人が嫌なことをするのは、私もそうしているのだから、自分を見つめて改善していこう・・・的な。
それはその通りなのです。
目の前の出来事をどのように解釈して意味付けしているか?
その意味付けによって自分を苦しめていないか?
これを内観することは素晴らしいことです。
ところが、そうやるに従って、なぜか同時に理想的な人物になる必要があるように思っていくことも、どうやら起こるようなのです。
今の自分はさておき、将来的な理想の自分自身こそが自分だと思って、ダメな自分をジャッジし続ける。
あるあるですよね。
しかし、残念なお知らせが笑。
この思い描いている理想的なスピリチュアルなあなたなどというものは、存在しません。
今も将来的にもどこにも。
存在するのは今現在のあなただけです。
今日のなまくらに1日を過ごしてしまったあなただけが存在しています。
そして今日は、それでも良いじゃん!って思いましょう♬
という、これはおすすめです♬
自分が引き起こしたことが、穴があったら入りたいようなことに思えても、
または、悔やんでも悔やみきれないようなことであっても。
その解釈を変えて、必要があってこうなっているのだと思ってみてください。
そんな尊敬などできないような自分の行動をいたわり、自分だけは見方でいてあげようと思ってあげてください。
考えられるのは、そんな大嫌いな自分とはあなたという全存在の中で最も傷ついているということです。
もしそれを引き起こしたあなた自身を信頼できたなら、
あなたはもう怖いものは一つもなくなるはずです。
あなたが最も恐れているものは、再びそれが起こるかもしれないということだからです。
もしそんなことがあったとしたら、どんな恐ろしい非難をされるのだろう?
またあの時のように拒絶されるのだろうか?
またあの日のように奈落に落ちるのだろうか?
お母さんは何と言って非難するだろうか?
もし、再びそれが起こったとして、その自分を抱きしめることができたとしたら、
あなたに怖いものはもはやありません!
ぜひ、あなたが引き起こした出来事を見つめて、かつそれでも良いじゃん(^^)と、あなたのいちばんの見方であると決めてくださいね♬
いつもありがとうございます。
どうぞ良い一日を★

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