どうして何も言えないのか

今日は新月です。

私はこれまで、自分の言葉を社会の中で言ったことが殆どありませんでした。

今日は、自分の意見を社会の中で言えなかったこと、それを克服してきた過程をシェアします。

まず、私が、人が何を私に期待しているのかが分かってしまうので、その期待に合わせた行動をとってしまうということがあります。

しかも、その人自身も気がついていないような潜在的な期待にさえ応えてしまっていました。

ですから、その人は、私と一緒にいるとなぜか知らないけど、身体が楽になるとか、なんだか知らないけれと仕事でうまくいくようになるなと思うわけです。

こんな不思議なことを私は難なくやってのけていました。

しかし、私のおかげであるとは健在的には思いもよらないですし、もちろんお礼など言われませんし、場合によっては私の不手際を周りと一緒になって攻撃さえしてくる、そんな状態です。

これは、生まれたときから当たり前のようにやっていたのでずっと自覚できないでいましたが、本当に辛いことでした。

では、なぜ私がそこまで周りの人の期待に答えようとしてしまうのかというと、それは自己価値を感じていないからです。

自分には価値がないと思っていることに気がついたのは、ほんの7年前ですが笑、それ以来、自己クリアリングを毎日やっているにも関わらず、自己価値が依然として上がらない私がいます。

しかし、これだけ自己ヒーリングを続けているので、癒やされて自分は素晴らしいと思っている割合は大きくなってきました。

だからこそ今日こんなことを書いていられるんですね。自己価値がゼロの時には自覚することは耐えられなかったと思います。

そんなわけで、今日も自己価値を感じられない過去の体験を持ったインナーチャイルド(副人格)と一緒にいる、そんな状態です。毎日こんな感じです。

では、どうして私はそんなに自己価値が低い体験をたくさんしているのかということですが、それは母親との共依存からくることです。

言ってみれば、母親が私と24時間一緒にいて、お前など価値がない、死んだほうが良いと言われ続けている、そんな状態なんです。

そして、私は、それを受け入れないと生きていけないと母親のお腹の中で気がついて、それ以来、母親に私のエネルギーを送り続けています。母親は病気がちで色々大変だったため、私を産んで育てる気があまりありませんでした。そう感じてしまったんです。

私の姉と兄がいたのですが、ふたりとも生まれてすぐになくなっています。

母親の嫌なことは、母親が気が付かないうちに叶える、そんなことも朝飯前のようにやってきました。

なぜなら生死が関わっていくるので、私は必死でした。とにかく生きるために、何でもやろうと決めたんです。

母は私が生まれてから、体調がとても良く、生きるのが楽になったようです。

そして、私は自分を無くして、母親の人生を助けることだけが自分の人生になってもいいと思いました。それは、生きるためにそれを選択した、というわけだったんですね。

それは、主に私の胎児の頃から3歳頃に決めたことでした。

さて、今日の社会の中で何も言えない、についてです。

母親との関係は、そのまま社会との関係に影響を与えます。

私は母親に対して、自分を無くして母親の人生を助けると決めていたわけですから、自分の気持ちなど言えるはずなどなかったんですね。

そして、もう一つ大きなことは、自分が初めて何か自分の言葉を話そうとした時、それは3歳児と母親の関係のままだということです。

いくら自分がいい大人であっても、そこでの関係では3歳時のまま。

私が最初に自分の意見を言った時は、もう辞めることが確定してからでした。

上司が電話をかけてきた時、もう辞めるので何を言っても良いとやっと思えたのもあって、「お前なんか、何にも分かっちゃいない、電話なんてしてきて、自分の保身のためだけじゃないか、何のために電話してきたんだ、かけてくるな・・・・」と叫ぶ・・・・。

なんて大人とは思えない言動でしょうか!!今思っても。

でも、これを私は後悔はしていません。次にはもっと良い言い方をしたいとは思いましたが笑。

この言葉は、私が母親に言いたかった言葉そのものでしたし、3歳の子供が大きな大人を相手に初めて自分の気持ちを言ったわけですから。何を思われようと、私だけはそれを尊重しようと思います。

また、起こったことは霊的にはフィフティ・フィフティです。どちらかだけが悪いということはない。相手の方も、私と同じだけこの体験を引き寄せていた。ということになります。

私がどうしても自分の言葉を社会の中で言えなかったのは、母親との共依存関係になることで私が生きてこれたからで、私が自分自身の言葉を話したとしたら、母親とのエネルギー関係が変わってしまうからだったんですね。

また、そしてそうやって生きてきたことへの罪悪感から、余計にこの関係を変えてはいけないと思っていたからでした。

アサーティブなコミュニケーションをずっと以前に学んでいたのですが、結局は、どうしてもそうできないことがあるわけです。

それは、ある程度の癒やしが起こった後でないと、核となる体験を受け入れることができない。そんな理由がそこには在ったわけです。

そして、それは辛いことに、自分が加害者だと気がつくときでもあります。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。